本日 34 人 - 昨日 63 人 - 累計 149703 人
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★2012年10月21日(日) ◎◎◎快晴◎◎◎
★スタートはJR八高線・川越線高麗川駅近くの高麗神社、ゴールは西武秩父線芦ヶ久保駅近くの旧芦ヶ久保小学校。
7:30から9:00の間に準備のできた人からお好きにスタート。ゴールは16:00まで、途中関門は2箇所あり。
★コースは大会名のとおり、奥武蔵グリーンラインという林道を走り、いくつかの峠を越え、33キロあたりをピークに一気に下る。途中奥武蔵自然歩道に入り、物見山までのトレイルコースが2.5キロほどある。
だいたいの標高で見ると、スタート100m→ピーク900m→ゴール300mちょっと。
★参加者(エントリー):男女あわせて1000人ちょっと。そのうち、840人くらいが出場。
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ということで、昨年に続き出場。
昨年が6時間48分だったので、とりあえずの数字目標として昨年維持ベースで6時間50分に設定。まぁ林道を気持ちよく走って楽しんで…、それで何とか16時までにゴール、が本音。

スタート.jpg早く行けば早く行くほど、それだけ制限時間は長くなるが、5時の始発に乗っても、高麗川駅に着くのが7:30、そこから会場に行き準備して…となると、やはり8:20くらいが限界。
会場に着いたのは7:50、この時間くらいはけっこうスタートする人も並んでいたが、8:20くらいには数人が並ぶ程度になっていて、バドミントンのラケットにくっつけた読み取り装置でピッとやってもらい、8:20スタート。
せっかく8:20だったので、ここでゴール目標も15時ちょうどに変更、6時間40分目標とする。

時間に囚われて許容以上に飛ばすと、最後の楽しみの下りがきつくなったりするかもしれないので、繰り返される下りでも「控えめ控えめ…」と念じて進むことに。
ちなみに、このコース、ひとことで言うと「33キロ上りで9キロ下り」だが、実際は「しばらく上るとちょっとご褒美の下りが、また上ってまたご褒美、を繰り返し、33キロまで行くと、良くぞここまで来た!と大きなご褒美が。」というコースで、累積で上った高さは標高差の1.5倍くらいはあるかも??

さて、控えめながらもけっこう順調に進め、23.5キロのエイドについた時点で昨年比25分短縮。ここでいただいた塩水まぶしのキュウリが絶品。おかげでここでは5分の予定が10分ものんびりさせていただきました。設計値より早めにきていたので、ここで、目標を6時間半に上方修正。
次は、メインのエイド30キロを目指してスタート。

30km.jpgこのあたりからは、上りの平均斜度は緩くはなってくるが、下りの回数も少なくなり、昨年度実績や今回の予定到着時刻を劇的に上回ることはなかったが、少し短縮で30キロエイドに到着。
さっそく、昨年もいただいた栗とキノコのおこわ、今年はかぼちゃのお汁粉もいただきました。景色みたりしてくつろぎ、ここでも予定オーバーの14分休憩で、上りもあと3キロと言い聞かせてスタート。
ここが上りの終わり、と明確にわかるところはないが、終了少し手前くらいからほぼフラットの緑に囲まれた森林浴コースになり、県民の森という公園に来ると、そこからは下りの始まり。だいたい33キロくらいのところ?
ここで下りに備え、ストレッチしたりして小休止。まだ始まりなので若干遠慮がちに一気下りの感触を味わいながら進み始めたが、何かやっぱり気持ちいいので、遠慮なく下ってしまい始めたところで、35.4キロのエイドに到着、蕎麦をいただき、いざ、最後の7キロかっ飛ばしスタート。
この時点で目標の6時間半クリアは確信したが、もう所要時間はどうでもよくなっていたので、特に再設定はせず、頭の中にあるのは『下る』ということだけ。

下り始めてすぐに5人も抜けたので、何人くらい抜けるか数え始めてみたところ、24人までは数えたが、気持ちよすぎてそんなことどうでもよくなり、計測中止。まぁ30人は抜けたと思う。おまけに、途中の写真撮影用停止で2人に抜き返されたが、さらに抜き返したので、結局抜かれた人はゼロ。
山下りの神様降臨ёとか、坂道を転げ落ちる長谷川ξとか、なぜか覆水盆に返らずγとか、いろんなキャッチフレーズが浮かびながら、楽しすぎて『ヒャーッ』と叫びたくなるような最高の気分で山を下る (〃 ̄∇ ̄)ノ彡☆
何せ、時間とか距離の記録がGPSや高度計付きのランニングウォッチではなく、メモとペン・ときに写真判定という原始的手段のため、精度は低いが、最後の下り6.8キロが35分、平均時速11.6km/h。この数字は自身の最高記録である荒川駅伝2011・3キロの時速11.84km/hに匹敵。
いやぁ、それにしても楽しかった。気持ちよかった。最高だった \(~o~)/

結果は6時間13分、昨年比35分短縮。数字に重きを置かないとはいうものの、この結果はこれでまたうれしい。ただ、これ以上は無理かな。エイドでのんびりした時間だけ見ると昨年より10分くらい増えていたが、そういった時間をもっと削れば、5時間台も狙えるのかもしれない。でも、それも本末転倒。今回の結果を踏まえて、6時間10分~20分くらいが一番楽しいかもしれない。

この大会、シーズン初めの練習に、と参加している人も多そう。そして、このコースをもってすれば、大会名のとおり「チャレンジ」というのもうなづけるが、その一方で、チャレンジには違いないけど同時に楽しんでいる人もきっと多いはず。そんな意味で「奥武蔵グリーンラインエンジョイ42.195km」なんていう大会名もあっているかな。

ゴールの後は、日帰り温泉・武甲温泉のバスが来ていたので、温泉につかってひと休みしたあと、今年もレッドアロー号で帰路に…。
今回唯一悔やまれる点は…。送迎バスもあったが、特急の時間まで余裕あったので、駅まで歩くことにした…道を間違えて、本来15分程度のところが40分くらいも歩いてしまったこと。。。 (・・)

いつものところに写真アップしてあります ⇒ こちら
パスなしです。よろしかったら (^^)_

by 長谷川


☆☆☆

アクアラインマラソンの話をする前に3週間前の日曜の話をする。
この日は草野球の試合があったのだが前週が雨天中止だったこともあり、大会が重なって一日に3試合、トリプルヘッダーとなったのである。
しかもメンバーのほとんどが40歳~60歳のおっさんチームであるため1試合目ピッチャー、2試合目ピッチャー、3試合目キャッチャーという高校の部活でも経験したことのない起用をされた挙句、3試合目の終盤に盗塁を試みた瞬間、右足ふくらはぎに激痛が走り、塁間で動けなくなったのだ。

相手一塁手に「大丈夫ですか」と心配されながらタッチされ、そのまま肩を担がれ退場。翌日医者に行ったら肉離れで全治3週間の診断を受けたのである。3週間後はアクアラインマラソンであるが、それに走れるか医者に聞いたら「はん?無理でしょう」との冷たい返事。しかし、それが反って僕の心に火をつけたかなんか知らんが驚異的に回復し、一抹の不安を感じながらもスタートラインに立つことができたのある。しかし当然ながらその療養中は満足にトレーニングできてないのだ。

よっしゃ、走る前にだいぶ言い訳できたぞ(笑)

☆☆☆

とにかく僕の中で今年の本番はNAHAマラソンであるし、今日は天気もいいし、記録は気にせずアクアラインのランを楽しもうという感じで臨むことにした(ここでも言い訳)。

木更津駅から20分ほど歩いた市役所近くの塩浜公園がスタート。
事前にチップ入りのゼッケンと荷物入れ袋が自宅に郵送されていたため、着替える必要もなく、わりとスムーズにスタートラインへ並ぶことができたのは良かった。

ちなみに今大会は最強市民ランナー川内選手(大学の後輩らしいね)をはじめ猫ひろしなども参加。相手にとって不足はない。というか明らかにこっちが無茶苦茶不足だ(笑)
開会式では森田健作知事がむちゃくちゃ気合の入った激励で選手たちを鼓舞した後、号砲が響き午前10時スタート。

料金所.jpg沿道の応援を背に受け、とりあえずキロ5分のペースで進む。
8km過ぎに早くもこのレースの目玉であるアクアラインを走行する。
高速入口の看板には「ETCカード確認」とあったのだが、ここでETCカードは財布に入れたままであることに気付く。しかし、ゲートは開いたままであったためそっと時速20km以下で無事通過。今日ばかりはカードも不要のようである(当たり前だ)。ゲートの電光掲示には「ガンバレ」の文字もあった。粋だねえ。

コース.jpg今日はほぼ無風でアクアライン上は気持ちよく走行できた。途中、対向車線から海ほたるを折り返した川内選手がトップ独走で疾走してきた。大学の後輩やるじゃん。そのあと、猫ひろし他、すれ違う招待ランナーに声援を送りつつ、海ほたるで折り返し、往復約10kmのアクアラインを写真も撮りつつ海の上の走行を満喫した後、ハーフを1時間48分で通過。

アクアラインを通過した後はのどかな田園地帯や市街地を走るのだが、メインのアクアラインが終わればちょっとテンションも下がる。しかもこの日は暑かった。半端なく暑かった。なんでも最高気温は26度になったとか。那覇より暑いぞ。

ゴール.jpgさらに、後半はやたら坂が多かった。特に33km過ぎからの2つの坂はランナーを苦しめ、力尽きて歩くランナーが続出。僕も暑さでバテバテ、止まらないのが精いっぱいだったが35キロ過ぎにフードエイドステーションがあって、千葉名産のキュウリの味噌漬けや落花生、ゆずジュースなどが振る舞われていたのでここは足を止めて遠慮なく食す。

腹も満たされ若干元気が出たところで最後の力を振り絞ってフィニッシュ。手元の時計で3時間48分40秒(公式記録証は後日郵送らしい)。

完全にトレーニング不足と暑さからの後半大失速であったが12月のNAHAマラソンに向けていい練習ができた。

☆☆☆

大会全般としては第一回の大会としては運営やエイドはしっかりしていたと思う。
コースはアクアライン含め坂が多く、好タイムは望めない感じ。それでも沿道の応援はちびっこからお年寄りまで熱心に声援を送ってくれたおかげで辛さも紛らわしてくれた。
まあ、それだけ高い参加費(11,000円)払ってるからね。期待通りといったところ。

マラソンシーズンも始まったばかりなんでトレーニングを積んで自己ベストを更新できるように頑張ります。

◆◆◆

大会評価 (5段階)
アクセス ☆☆☆ (木更津駅から徒歩20分)
コース  ☆☆ (アップダウン多数)
景色   ☆☆☆☆☆(アクアラインからの眺めは最高)
運営   ☆☆☆☆(第一回ではあったがしっかり盛り上がっていた)
エイド  ☆☆☆☆(水、スポーツドリンク、フードも充実)
参加賞  ☆☆☆(スポーツタオル)
総合評価 ☆☆☆(参加費がもっと安くならんかな・・・)

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文 まっつん

途中で倒れて病院に行く事になっても、わたしゃ絶対迎えに行かないよ!自己責任だからねっ!」
という妻の言葉を背に浴びて自宅を出発。
午前中の診療を終えて、新幹線で小倉へ。ビジネスホテルで一泊し翌朝行橋に入る。
特急電車から降りたら、これからウォーキングするだろう格好の人々でごった返している。ここで少しひるむ。身につけているものを見ると、みんなそれなりに決まっていて、とくに足下を見て不安になる。皆ランニングシューズなのだ。ぼくはと言えば、「足ックス」の専門店で店員に
「100kmウォークの大会に出るんですけど」
と言ったら勧められた「ウォーキングシューズ」。
皆カラフルな蛍光色の靴を履いている中で、ぼくだけが樟んだうぐいす色の靴を履いており却って目立ってしまっている。なんだか不安である。
駅から少し歩いた行橋正八幡宮というスタート地点に行く。まるで神社の祭りのような様相のなか、ゼッケンをいただく。その際、医者だという事で半ば強引に赤十字マークの赤い光がちかちか光るバッジを2個ももらう。ぼくは精神科医であるため、このような状況で心のケアは当然お呼びでなく、お呼びである所の救命救急を研修で回ったのは遥か20年近く前。でも貰った手前つけざるを得ない。とてもせこいがゼッケンに微妙に隠れる所につける事とした情けない。
神社の参道の一の鳥居当たりで待機。よけいな体力を使わないように地面に座り込むが、よく見ると犬の糞がそこここに放置してある。その箇所を避けるように座って待つ。しかしにぎやかだ。近隣の人はたまらないだろうなあ。女性のアナウンスが曇天の空に高らかに響く。


今回はまず完歩のみを目指すので、出来るだけ最後までスタートせず地べたでうだうだしている作戦にでた。ぼくと同じように考えている人は結構いて、男性に多い感じ。みんな思い思いにテーピングをしたり、タバコを吸ったり、ケツ穴の周囲に馬油を塗ったりしている。
12時に先頭がスタートしてから70分後に漸く出発。最初は今川沿いを海に向けて下る。スタッフや近隣の人が応援してくれる。照れながらいちいち手を振って答える。右手は五十肩のため上がらないので左手ばかり使い仕舞いには疲れる。
靴のサイズが大きいのか、歩いているとすぐ小石が靴内に入ってくる。その度に歩くのを中断して靴を脱ぎ小石を出す。これにかなりエネルギーを使う。足袋に草鞋、頭はちょんまげで歩いている人を見かけたが、これなら靴内の小石を出す煩わしさから解放されるため、自分もそうすれば良かったと思ったものだ。
スタート直前より緊張からか小水を催す頻度が急激に増加、その後も20kmくらいまで続いたため、道沿いの仮設トイレは軒並み制覇、これでだいぶ時間を食った。その20km地点で大休止。暮れて行く夕日を見ながら、小倉で買ってザックに入れておいたらひしゃげてしまった握り飯を平らげる。その後、狭い国道の狭い歩道を一列で歩いたり、海を見ながらのびのび歩いたり。第一ポイントの中津駅(36.1km)までは10kmごとに10〜20分の大休止とした。すでに25km過ぎる頃には、膝裏に痛みが出るようになり前途多難が予想された。
結局中津駅には20時50分に到着。バナナと梅干しの配給を貰い、近くのコンビニで買った惣菜パンにかぶりつく。みんな駅のコンコースのような所に思い思いに腰を下ろし楽しそうだ。キャンピングでの隠語「ステーション」(駅構内などに野宿する事)を思い出す。
中津駅を出発してすぐの所で信号待ちをしながらアキレス腱をのばしていると、自転車に乗った子鼠風のおっちゃんに「邪魔ばい!」と怒鳴られる。やっぱ周辺住民は迷惑しているんだなあと再認識。
中津から後は、5kmに1度の休憩。一度に5kmしか歩けない男になってしまった。しかし国道沿いにこれほど連れ込みホテルが多いとは。レース中に女性をナンパしてそのままそこらのホテルに直行、なんて事もあり得るよなあ。などと考えて気を紛らわせないと辛くなってきた。気がつくとだらだら歩いている自分を発見する。
ぼくは今回の歩行中ずっとiPod聴いていたのだが、深夜のだらだら気分をしゃっきりさせてくれたのが、Dead Can Danceの久しぶりのアルバム。「龍馬伝」のサントラ担当していたおっさんのきっちりした歌声に背筋が伸びた。


全コースに11ある指定リタイア地点も5番目当たりから、リタイアしてバスに乗り込む人が目立ち始める。それを横目で見ながら黙々と下腿にインテバンローションをぬる。
だいたいリタイアして別府に今から行っても、夜も明けておらず何もやる事ないよなあ。という消極的理由よりリタイア意識など微塵もなかった。ただ制限時間の26時間以内に到着できるかが気がかりになってきていた。宇佐神宮入り口で休憩したときにも、場所を同じくしている100kmウォーカーからも制限時間を懸念する声が上がっていた。
第2ポイントの宇佐にたどり着いたのは4時であった。ここでうどんを買ってすする。不思議と腹は減る。食欲があるうち食べておいた方が良いと判断して、頻繁に食事摂取していた。しかし断続的に吐き気が出てくるようになった。原因は分からなかった。ひょっとして思い、休憩の度に肌からしたたる程塗りたくっていた痛み止めローションを止めたらだいぶ楽になった。副作用だったようだ。胃腸の弱いぼくは、経皮でも胃腸にダメージがでるようだ。おかげで足の痛みは強くなるばかり。右の股関節まで痛くなってきた。
何故右だけなのか、と考えてみるに、どうもズボンの右のケツポッケに入れてある財布の重みのようだった。試みに財布をリュックに移動してみると、あら不思議、痛みはさっと引いたではないか。微妙な重みも回数を重ねると関節に負担を生ずる。100kmウォークの奥の深さを身を持って経験したのであった。
さて宇佐での出来事。医療室の前に陣取りうどんをすすっていると、遠くから救急車のサイレンが。結局この医務室の急患を迎えにきたものであった。急患は身じろぎもせずまるで蝋人形のごとき形相で担架に運ばれて行った。丁度ぼくと同じ年格好であったので、冒頭の妻の言葉が思い出され、いい気持ちはしなかった。
ここを過ぎると山道が多くなる。真っ暗闇の中、ウォーカー達の後部につけたる青いLSD光の点滅が遥か前方に伸びる様は、まさに地獄への果てしなき行進のごとくであり、見ていて思わず身震いがした。


山の中の駐車場で寝転がり星を見ながら休憩しているおり、ある父子が会話をしている。
「お父さん、僕もう身体が動かないや。リタイヤするよ」
「そうか、限界か。残念だ」
「せめて七曲がりまでは行きたかったけどなあ。残念だなあ。僕の事は心配しなくて良いよお父さん」
「心配だよ...」
なんと言う親子愛だ。見ていた星が涙でにじみ始めたため出発したが。
そういえば星を見ながらのflying lotusもヤバかった。このまま空に舞い上がりそうで、舞い上がったら失格だぞと必至で自分をコントロールした。


さて一度に5kmしか歩けない男にも例外があった。それは七曲がり入り口から出口まで。ここはほとんど山道で急勾配の坂が続く所。入り口で竹製の杖を無料で貸し出しているためそれを拝借して登り始めると、結構なペースで距離を稼げる事を発見。そうだぼくは山に登る経験を随分してきたんだった。だいいち使う筋肉が違う。下りも順調。森林に囲まれた細い山道を一気に通過。この調子でゴールまでとも思ったが、甘かった。国道にでるなり再びペースダウン。もとのだらだら歩き、1度に5km男に戻ってしまった。どうもこれは、国道沿いが着眼点であるようだ。大型トラックや各種自家用車が往来する道を歩くのは、やはり苦手である。なんだか気力がどんどん往来車に吸い取られているのではないかと疑念が湧くほどである。

どうにか最終ポイントの日出に到着。時刻は11時5分。タイムリミットまで4時間5分もあるのに、やけにスタッフの皆さんは急かす。「急いででないと今までに苦労が水の泡、水の泡ですよ〜」拡声器で何度も言っている。まあ早くお店たたみたいというのもあるのだろうなあ。そんななかゆっくりとボランティアのマッサージなど受けている女子もいらっしゃる。そこでの会話を何とはなしに聞いていた。
「お客さん、こんなんでよく此処までこれましたねえ。本当は限界なはずですよ」
などと言っている。そんな事言うとこれから後の戦意喪失するじゃねえか。案の定その女史はその先の道ばたで膝を抱えて動けなくなっていた。
最終ポイントを過ぎると、おおかたの人はリタイアしてしまったらしく、ぐっと人口密度がへった。かなり広くまっすぐな道であるのだが、前も後もほとんど人影がいない。これは却って寂しい。今回知り合いもいないぼくの密かな楽しみは、前行くウォーカーのゼッケンナンバーで遊ぶ事。
「3745」ゼッケンを背負った眼鏡の小柄な女子を見たときは、一人で受けてしまった。
そんな戯れ事が出来ず、ひたすら別府湾のぐるりを回り、高崎山の手前当たりを目指す。なかなか「ゴールまであと○km」の立て看板が現れない。「あそこにある」と側まで来ると、こつ然と消えていたりというか錯覚だったりで、まるで砂漠をオアシス求めてさまよう探検隊の体であった。
別府市内に入ると、そこは所謂3連休の中日の普通の市民の生活があった。
焼き肉やから出てきて駐車場に向かう家族連れ。結婚式であろうか、ホテルの前で佇む正装の集団。お土産屋で物色する若者達。そんな光景を横目で見ながら、奇妙な竹の杖にすがりながら、痛みで半ば麻痺した下腿を引きずりなおも前へ進む、中年の小汚い男。


ぼくは何をやっているのだろう。

ゴールも後1キロ地点になると、無事ゴールして一仕事終えたウォーカーにすれ違う。皆日焼けした顔に白い歯がこぼれて眩しいほどだ。これを見てまた元気が出た。黄色い旗が両側を埋める中、的が浜公園到着。記念撮影を取り、完歩の賞状をいただく。
25時間43分46秒


カンポできて良かった。

by あらた