本日 32 人 - 昨日 63 人 - 累計 149701 人
暑かった8月も終わり、もう9月。まだまだ残暑は厳しくも、9月になったとたんに暑さも和らいだような感じの今日この頃。気がつけば、今年ももう3分の2が過ぎた。こうやって歳をとっていくのかとつくづく思うところだが、いやァ、この8月はなかなか楽しかった。。。 そんな出来事2つほど。

◇◇◇

その①はこちら ★ フライデーナイトリレマラ ★

◇◇◇

その② ★ 北オホーツク100kmマラソン ★ 2012.8.19.

これも30年超前の話しになるが、夏と言えば、北海道だった。その後、北海道には札幌に何回か仕事で行くことはあったが、まさかこういう形で道北の地を訪れることができるとは思っていなかった。これも、なんちゃってランナーとは言え、ランニングがもたらした効果かな?

北海道には、超有名なサロマ湖ウルトラマラソンがあるが、やはり敷居は高く、そんなときに浜頓別・クッチャロ湖でウルトラマラソンがあるのを知ったのが去年。そのうち行きたいなぁと思っていたが、奥熊野の余韻と「浜頓別」という懐かしい響きに負け、吸い込まれるかのようにエントリーしてしまった。
エントリーしてしまえば、せっかくそっちに行くなら…と、ここぞとばかりに鉄の血も騒ぐ♪
東北新幹線も全線のってないし・急行はまなすにも乗ってみたいし・そう言えば、札沼線も乗ったことない・宗谷本線の小さな駅めぐりもいいなぁ…・そうだ!興浜北線や美幸線の跡にも行かなくちゃ!…とマラソンそっちのけ。

そっちの計画に時間をとられ、ラン計画をじっくり考える間もなくスタートを迎える…
まぁ、何百メートルの山越えとかもないし、フラット+αみたいなものだろうから、適度にエイドで休みながらのんびり行けば何とかなるかな、という大雑把な考えが甘かったことを知るに時間はかからなかった。いつものことだけど ^_^;

◆実況

スタート直後の1キロくらいでクッチャロ湖畔を通り過ぎる。キャンプしていた人には、朝の5時から数百人が通り過ぎたりして、いい迷惑だったかもしれない。
名物8キロの直線道路もスタート後10キロくらいからだったせいか、特に気は遠くならず、天北線跡のサイクリングロード交差(32.5キロ)くらいまでは、そこそこの快調ペース。だったが、それもこの辺まで…、浜頓別・酪農地帯の丘陵を甘く見ていた。。。

天北線交差を過ぎたあたりから、高低差はそんなにないが(たぶん10mとか20mとかそんなもの)、丘を越え行こうよ♪って感じで上り下りの繰り返しが始まり、これが予想以上にペースを遅らせる。

1.N-17.PAP_1539.JPG

フルの距離を何とか5時間半で通過したものの、ペースは徐々に遅くなるばかりで、結局、中間地点(スタート・ゴール地点)に戻ったのは、関門15分前。この時点で、平均的に見ると早めの設定になっている70キロ関門、80キロ関門のクリアがけっこう厳しくなっていた。

ここでやめようかなぁとか考えながら、うどんをいただいているうちに、「後半にスタートするランナーを送り出してくれるアナウンス」を聞いていたら、「60キロ関門はクリアできるから、とりあえずそこまで行くか」っていう気になり、皆さんに応援されながら後半スタート。
しかし、このとき時間的にもちょうど中間の12時。きびしーー (___ ___ ;)尸

しばらく、オホーツク海に沿って興浜北線の線路があっただろう近辺を走り、風車を見ながら、60キロ関門は通過したが、63キロあたりで時間を見ると、70キロまであと7キロ44分。これまでのペースから考えると、関門クリアは厳しそう、ということで63キロすぎて200メートルくらい行ったが、エイドに戻ってリタイア申告。
もう少し走れたかな…とも思ったけど、まぁ楽しかった63キロだし、残りの37キロはまた次にとっておけばいいか、ということで納得。

バナナとかダイコンの仮装で走っているグループがいて、とても楽しそうに走っていました。すれ違ったり抜かれたりのときにも誰彼ともなくエールを送ってくれる。
一足先、いやだいぶ先?にゴールに戻ったので、この方たちをゴールで迎えたときのこと。自分たちのゴールの余韻に浸るまもなく、次にやってくる他の人のゴールを盛り上げているなんて。。。
自分たちも楽しみながら、周りも楽しませて盛り上げるなんて、すごい人たちだなぁって感心しながら、ウルトラマラソンの本質を見たような気にもなっていました。

ちょっと意外だったのは完走率。100kmの部は出走者390人、完走者251人で思ったよりも低い。
自慢じゃないが、自分の後ろにそんなに多くの人がいたはずはないし…。ということは、関門に引っかかってリタイアというよりも、何かしらのアクシデントでリタイアした人の方が多かったのかなぁ。それか、もっと先を走っていた人にしかわからない魔物がいたとか?

◆エイド

今回もエイドには大変お世話になりました。いつも以上に地元の皆さんと話しが弾んだような気がする。
オレンジジュースもコーラも、オレンジもスイカもとてもおいしかった。でも、そんな中で最高だったのは「水」!冷たく冷えていて、ときに氷も入っていたりで、とにかく水に感激 ━━━(゚∇゚) ついつい杯が進んだせいか、トイレにもけっこう寄ったような…(苦笑)。

おまけに、かぶり水なるものもあって、頭からひしゃくでかけてもらう人もチラホラ。さすがに頭からはかぶらなかったけど、しぼったタオルを首に巻いたり、顔ふいたり、と水のお世話になりました。

そうそう、風車の少し手前の私設のエイドでは、ほたての貝柱もいただいたっけ。さすが北オホーツク。

◆貴重な体験

今回、関門とかではなくて、中途半端な拠点でリタイア申告したため、自衛隊の車に乗せてもらえたこと。というか、どうせ関門でひっかかるなら、それを狙ったというのもあるが (+o+)

(HP用)自衛隊車とともに.jpg

そして、リレハンメルオリンピック・世界選手権、スキーノルディック団体金メダリストの阿部雅司さんが招待選手ということで、前夜祭では、金メダルを首にかけて記念写真も。↓はオリンピックの金メダル、他に世界選手権バージョンもバッチリ ^^)

(HP用)金メダルとともに.jpg

オリンピックの金メダルは表面のみ金なので、年月とともにはげてきているとのこと。一方、世界選手権のメダルは全部金でできているそうで、今でも輝いていた。

◆うるとら探検隊

走りながら、また今回もゴールは遠いなぁ…とか思って、でも、コースとかマラソンそのものを探検しながら走るのはやっぱり楽しいなぁとか思ってたら、ふと『うるとら探検隊』というフレーズが!でもって、急遽勝手に結成、現在隊員1名のみ。
皆さんの入隊をお待ちしています。次のターゲットはやはり奥熊野で決まり o(^ー^*o)(o*^ー^)o でも、栄ちゃんの言ってた三浦半島のウルトラが時期によってはそっちが先かな?

話は違うけど、10月の奥武蔵グリーンライン。距離は42キロしかないけど、これがまた奥熊野チックな山間コース・ときにトレイル、とウルトラの雰囲気も十分あってなかなかいい。今年のウルトラが終わってしまった今の楽しみはコレ。

去年初めてのウルトラ・奥熊野に出たとき、「これからウルトラ道まっしぐらですね」とある人が。うーん…正しい!やっぱり、ウルトラみたいなのが好きかな。

◆番外編

今回は旭川起点で700kmをレンタカーで走りまわったが、驚きの燃費。北海道だから走りやすいとは言え、リッター20キロとは、家の車の4倍も。トヨタのビッツとかいう車で、いやぁ感動した!
(400キロくらい走って最初にGSで給油したとき、満タンって言ったのに、20リッターくらいしか入らず、満タンですか?って聞き返したほど。)

もうひとつは総費用で圧勝。
現地宿泊は大手旅行社が牛耳っていて、今どき相部屋が原則とか考えられないプラン。ツアーは東京発大会前後の3日間で10万円超の高額。大会参加費も加えて、一人部屋を希望しようものなら、あっという間に15万円。
これに腹が立ったので、戦いを挑み、夜行列車1泊を含む4泊5日、9万5千円ですべて完了。グリーン車とか宿も豪華なプランにしたりしたので、8万円台までは下げることもできた、ということで完勝!!往復、現地での移動手段にバリエーションがある北海道だからかも。
ただ、Webの割引とかでこんなに安くなるとは、これも感動 <(^◇^*)>

***

今回もまた撮りすぎたかな… 4枚1組にしたりして枚数を減らし、それでも100枚超をアップしてます。
最初の30枚くらいが大会関連、あとの70枚以上が道北を巡る(鉄)旅。まぁ暇つぶしにご覧ください。懐かしい風景もあるかも?? いや懐かしいというよりも、近代化された稚内や旭川にどこか寂しさも… パスワードはありません。

写真はこちら

***

浜頓別町の方々はもちろん、その周辺地元の方々、自衛隊、消防隊、警察、警備…、文字通り官民あげてのバックアップ。おまけに熊も出る可能性があるらしく、猟友会の方々の協力も仰いでいるとの話しも。

とても多くの方々に支えられて、安心して、楽しく走らせていただけることに感謝、この大会にかかわってくださったすべての方に感謝 m(*^ー^*)m 長谷川

◇◇◇


暑かった8月も終わり、もう9月。まだまだ残暑は厳しくも、9月になったとたんに暑さも和らいだような感じの今日この頃。気がつけば、今年ももう3分の2が過ぎた。こうやって歳をとっていくのかとつくづく思うところだが、いやァ、この8月はなかなか楽しかった。。。 そんな出来事2つほど。

◇◇◇

その① ★ フライデーナイト・リレーマラソン ★ 2012.8.3~4.

まだ学生だった1980年代初め、30年も先のことなんて思ったことはなかった。
が、その頃、もし仮に30年先の自分の日常を想像してみたとしても、夜を徹してマラソン、それもチームでリレー!なんて、そんな光景を想像する可能性はゼロだったに違いない。だいたい、マラソン大会に自分が出ているなんてことからして、あり得ない未来だったし。
もっとも、その頃マラソン大会と言えば、庶民には手の届かない、一部の限られた者にしか門戸を開かない「競技会」だった時代でもあるが…。

そして、時は流れ、だいたい30年後…。そんな非日常の出来事が起きていた。
同じ時代を過ごした友人☆そして、らんなぁずみたいなのがなかったら、同じキャンピングのOB(OG)とは言え、名前も知らなかったかもしれない世代の違う友人☆老若男女?チームで夜中じゅう国立競技場を走っているとはね!

リレマラHP(全員).jpg

アメダスの記録によると、19~24時が27~29℃くらい、日が変わった0~7時は26~27℃くらい(大手町)。
ときおり涼しい風を感じるスポットはあるものの、それはほんの一瞬。
1周1.4kmのうちほとんどはアッちぃ (`⌒´#) と不機嫌になりながら、一方で、チームの待機場所である回廊内コースや競技場トラックなどは、何事もなかったかのように気持ち良く走ってるフリをしなけりゃいけないし…、という超難コース!

リレマラHP(回廊写真).jpg

唯一、トラックから回廊に向かう途中、スタンドをくぐって外に出たところに、一瞬人目につかなくなる死角があるのだが、ここに給水所を置くなんて、主催者もなかなか弱者の気持ちをわかっている!給水所でひと息ついていたのは言うまでもない……… あれっ?俺だけ?? みんなが作った貯金を浪費してたか…

それにしても、タスキの重いこと。リレーのときにずっしりと感じるこの重み、箱根駅伝でよく耳にするフレーズ「タスキの重み」とはこのことか…、と勝手に「重み」の意味を取り違えて、何だか貴重な疑似体験ができた。

最初のうちはコース脇、総出で応援していたが、夜が更けるにつれ徐々に足は遠のき…、気がつけば陣地でまったり、姫様は松ちゃんテントで爆睡。そこに、深夜にもかかわらず応援に来てくれたばんさんも交えて、アルコール抜きのエアー宴会とか ^^)_旦~~
何だかキャンプしているような感じもあって、何がどうって説明できないけど、とにかく楽しませてもらった。
しかし、12時くらいに来て、1時、2時に平然と帰っていくばんさん、都会に住むって便利だなぁ。。。

さて、結果は、95周(133キロ)・11時間52分35秒・種目別214チーム中72位・総合246チーム中90位。
100周まであと5周・約7キロだったが、それは次への目標として、すっかり来年も出る気になっているけど、これを機に「らんなぁず・夏の風物詩」に決定、ということで ( ^.^)b
来年もまたよろしくお願いします。今年は様子を窺っていた?皆さんも来年はよってたかって是非!

写真はこちら パスワードはいつもの。

真夏の夜を楽しく過ごさせてくれた皆さんに感謝 m(*^ー^*)m 長谷川

◇◇◇

その②はこちら ★ 北オホーツク ★

◇◇◇